話す試験の是非について面白い対談を読みました♪


 

  はむぱんさんによる写真ACからの写真

話す試験の是非について面白い対談を読みました♪

Englishbuds 管理人 Mommy Kayo です。

 

2020年からセンター入試が変わります。

その大改革について識者の方が次のような対談をされていました。

「センター試験の大改革」に秘められた深い意味

とても興味深い対談ですので是非お読みいただければと思います(^^)

 

特に対談後半の英語の試験に関しての部分は

あまりに興味深すぎるので長いのですが下記に引用させていただきます。

 

■英語の試験に「話す」は必要なのか

池上:新テストでは、記述式問題の採用に加えて、民間の力も借りつつ英語力を4技能フルで測るという「改革」が行われます。この点については、どうでしょう?

佐藤:私の意見から言わせてもらうと、この試験に少なくとも「話す」はいらないと思うんですよ。かつて私が受けた外交官試験の外国語は、英語だったら英文和訳と和文英訳のみ。これは明治時代から変わらないのだけれど、語学力に関してはそれで完璧に測ることができるのです。

山本:今の池上さんの質問には、ちょっと答えづらいですね。民間の活用という点から言えば、本来は大学入試センターがすべての問題を作り、時間をかけて評価していくということが許されればいいのですが、そういうわけにはいきません。そこはノウハウを持ったところにお任せして、後は公正にやっていただけるように見守っていくということですね。
私の立場でこんなことを言っていいのかどうかわかりませんが、大学教育の基礎力として4技能を均等に求めるのかどうか、もっと議論が必要だと個人的には思っています。

佐藤:理屈で考えてほしいのですが、後天的に身に付いた言語力で、読む力を、聞く力・話す力・書く力が上回ることは、絶対にないんですよ。読む力が「天井」で、同じ文章をしゃべれるけれど読めないということは、ありえないのです。

■「英語4技能」は学生選抜に歪みが生じる可能性がある

山本:少なくとも「共通テスト」では、大学で教育を受けるために必要な英語力を測定するわけですよね。もちろん分野によって異なりますが、最低限必要な力が何かと考えてみても、英語で書かれたいろんな文献などを読める力ではないでしょうか。少なくともそこをきちんと見ておきましょう、というスタンスがあってもいいのではないかと、私も思います。

佐藤:4技能を見れば英語の総合力が測れると考えているのかもしれませんが、実際の試験では「話せる」帰国子女が圧倒的に有利になるでしょう。具体的に言えば、英語の4技能に秀でていて、新テストで満点に近い得点をした帰国子女は、ほかの科目は軒並み合格ラインに達していないにもかかわらず、志望校に合格する可能性があるということです。

大学でも、留学生はその母語では外国語の単位を取れないようにしているところもあります。楽勝で単位が取れてしまうのは、フェアネスの観点から問題だということですね。ましてや、公平性が大前提の「共通テスト」で、そういうことが許されていいのでしょうか。

せっかく全体としてよくできた試験問題になりそうなのに、「英語4技能」を極度に重視するあまりに、肝心の学生の選抜に歪みが生じないか、私は心配しています。

山本:いろいろな方が、「10年近く英語を習ったのに、自分はろくに話せない。教育が間違っている」とおっしゃるのです。そうした意見が、4技能への拡充の背景にあったのでしょう。
佐藤:それは教育ではなく、本人の問題です。

池上:国際会議に出かけて、夜のパーティーで外国人と話をしようと思っても言葉が出てこない。いつも言うのですが、だったら語学力以前に自らの教養を問うべきですよね。話すべき中身がなければ、しゃべりたくても、しゃべれませんから(笑)。

中身があって、どうしても英語でしゃべりたいというモチベーションがあれば、言われなくても英会話をマスターしようと勉強するでしょう。
佐藤:逆に言えば、ただ話せたらいいのか、ということです。イギリス・アメリカ以外のいろんなところで英語が普及し、日常的に使われているのはどういうことかといったら、そういう国では、生活のためにそれを習得せざるをえないという事情があるからです。日本は、日本語空間の中で生活が成り立つわけで、そういう意味で「大国」なんですよ。

山本:先人のおかげで、高等教育も日本語で受けられるんです。

池上:そうです。みんなそれを当たり前だと思っているのだけれど。

佐藤:例えば、イギリスのブリティッシュ・カウンシルなどが運営する英検のIELTS(アイエルツ)がありますよね。2010年から日本英語検定協会が、日本での共同運営を始めました。

このIELTSには、アカデミック・モジュールとジェネラル・トレーニング・モジュールがあるのですが、後者はありていに言えば、移民労働者になるための英語です。最初からそういう試験をやっているわけですよ。言葉とは、そういうものです。

■中途半端なレベルで「話す」をテストしても意味がない

山本:そもそも、英語であいさつができて、オリンピックに来た人に道案内ができるぐらいしゃべれるようになったところで、学問もできなければ、商取引もできないでしょう。

佐藤:私は、スターバックスに行って、最近ほっとするのです。あそこでは10年ほど前には、例えば“caramel macchiato one, extra hot”とかいう「英語」が使われていました。文章に動詞も入らなければ、前置詞も入らない。

山本:単語だけをつなげる。

佐藤:これはpidgin English(ピジン・イングリッシュ)といって、植民地での英語なのです。要するに、命令を聞くためだけの言葉。しかし、最近は「キャラメルマキアート、1つ」「ミルク、熱くしてください」などと、店員が言うようになりました。「宗主国」のマニュアルどおりには、やらなくなったわけですね。

山本:マニュアルが変わったんじゃないですか(笑)。

佐藤:でも、あのpidgin Englishが大手を振ってまかり通るようなことにならなくて、本当によかったと思う。わが国の文化はかろうじて維持された、とほっとしたわけです。

山本:今の話で思い出しましたが、アメリカに行ったときに、ダウンタウンのファストフード店に入って注文しようと思ったら、店員が何を言っているのかわからないわけです。こちらは一応、向こうの先生たちと研究室では、なんとか会話できるのだけれども。

池上:ブロークンで聞き取れない。

山本:聞き返しても、やはり同じように言う。まさにマニュアルどおりで、「この相手は英語があまり得意ではないようだから、やさしい言葉でゆっくり話してやろうか」という対応をしようともしないんですね。結果的にコミュニケーションが成立しないのです。

佐藤:やはり、英会話ができればいい、という話ではないのです。もちろん、ブロークン・イングリッシュが試験問題になるわけではないのでしょうが、中途半端なレベルで「話す」ことを試しても、ほとんど無意味ですよ。

東洋経済オンラインより引用




私も今現場で高校1年生を担当しており

スピーキングのテキストを使い、スピーキングの指導をしています。

この件は長くなりそうなので後日また詳しく書こうと思っていますが、

その経験を踏まえてこちらの対談を読むと対談中にある

佐藤:4技能を見れば英語の総合力が測れると考えているのかもしれませんが、実際の試験では「話せる」帰国子女が圧倒的に有利になるでしょう。具体的に言えば、英語の4技能に秀でていて、新テストで満点に近い得点をした帰国子女は、ほかの科目は軒並み合格ラインに達していないにもかかわらず、志望校に合格する可能性があるということです。

佐藤氏の意見には大いに賛同できます。

一般的な学校の英語教育を受けるだけでは

GTECが求めているスピーキングで高得点を取ることは厳しいのではないかと思うのです。

 

一方、話すことに慣れている子はある程度の対策を講じれば

手も足も出ないというレベルではありません。

 

 

改革2年目に新センター試験を受けることになる娘の時は

大きな改訂はないものと思われます。

 

仮にこの対談でも話題になっているように

いずれ帰国子女はフエアネスの観点から制限が設けられるかもしれませんが

英語育児っ子は制限の設けようがないと思います。

 

つまり力士チックに言うなら「ごっつあんです」ともいえる状態になる可能も。

 

我が家の子どもたち、英語育児っ子のことだけを考えれば

歓迎する流れなのかもしれませんが、

「自分だけよければそれでいい」

というのは私自身美しいとは思っておらず・・・。

 

今の教え子のことを思えばなおさらです。

 

やはり英語教育は根本的に変わっていかなければならないなぁ・・・

と思います。

 

誰かが得をしたり、犠牲になったり、経済弱者が泣くというのは

教育という観点からみればおかしいと思ってしまいますので。。。

 

いったい誰得で英語教育は改悪されていっているのでしょうか?

うーん、わからん(-“-)

 

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