おうち英語と知育の本当の関係

Englishbuds 管理人 MommyKayo です。

気づけば、ずっと「ちいかわ」を読む専用になっていたEnglishbudsの公式Xアカウント…。
昔はWordPressと連携してブログ更新を自動投稿していたのですが、Xになってからそのプラグインが使えなくなり、面倒くさがりの私は徐々に離脱。

でも、ちいかわを読みたいのでアカウントだけは残していたという、公式アカウントにあるまじき使い方をしていましたw

ところが先日、Englishbuds Togetherのグループレッスンに「Xを見て来ました」という方が!

こんな瀕死のアカウントでも見てくださる方がいるんだ…と、ちょっと申し訳ない気持ちになり(だって私はちいかわしか見てない…)、もう一度ちゃんと情報を発信してみようかと思い直しました。

とはいえX、難しいですね。
課金してないので240字制限があり、まるで電報を打っている気分(昭和か)。

毎回「うーん」と推敲しながら投稿しています。

でも、その私の小さな投稿の中で、珍しく反応があったテーマがありました。
それが「おうち英語と知育の関係」です。

私は物事を美化するのが好きじゃないので、昔から正直に言っていますが
私がおうち英語を始めたきっかけは「子どもに賢くなってほしい」「英語ペラペラ=賢そう✨」という、バリバリの下心でした。

でもそれはただの下心ではなく自分のコンプレックスからの親心でもありました。
学校英語で努力したのに「全然喋れない」「聞き取れない」「伸びない」の三重苦…。
わが子にはそんな苦労をさせたくない。
苦労は買ってでもしろ、という言葉もありますが、そんなもん買わなくていいと思って、私はDWE買いましたw

自分がそうだからみんなそう、と安直に思うのもアレですが

家で英語のYouTubeを流したり、高額教材に投資したりするのって、誰しも下心があるからじゃないですかね?
でもそれって、子どもを思う親心でもあると思いますよ。(自分を正当化したいので擁護)

という理屈から私は思うんです。
おうち英語やってる人は、絶対に知育に関心ある人だと。

私は「知育」という言葉が好きです。大好きです。
座右の銘として額に飾りたいくらい。(飾れや)

だって知を育むって最高じゃないですか。
賢くなるって最高。

私、もうすっかりババアですけど、知りたい欲求が強くてCOTEN RADIOのヘビーユーザーです。
ついに先日コテンクルーになりました(いらん情報)

子どもにも賢くなって欲しいと思い続け、私は子どもが中学生になるまで「コピー取り職人」と化して、問題集を何周も回させてきましたからね。
(高校に入って、世の中には天才がいると知り、親子共々知育の限界を知るw)


なんかいらんこと言った気もしますが、とにかく知育大好き人間なんですよ。


言語は知を育むベースだから、もう一つ言語を与えれば知はさらに広がる。
そう考えると、おうち英語は立派な知育の一形態です。
だから私はおうち英語が知育に輪を掛けて大大大好きなんです。


そんな私の大好物であるおうち英語と知育の関係。

今回のXの投稿で私が言いたかったのは、

「知育」という言葉を、特におうち英語初期に
“教育ベース”で狭義でとらえすぎるのは違うんじゃありませんかね?!

ということ。

私たちはギラギラしています。
そのギラギラは否定しません。むしろそのギラギラがおうち英語を続ける燃料。

でも、そのジェット燃料くらいエネルギー量ある燃料を
「教育」という罐にくべてしまうと、おうち英語はうまくいかなくなる気がしています。

発話が出る前からワーク漬けにしたり、会話テキストを暗唱させたり。

それって本来の母国語方式とはズレてしまうんですよね。

自然に習得できる能力あるのに、教えとるやないかい!って。

知育=勉強、ではありません。
知を育むことは座学だけじゃなく、体験や遊びだって含まれますよね。

子どもは遊びからも学びます。

そして実際、遊びながら英語を吸収し、発話を育てた子のほうが、
後の伸びが良いと私は10年以上Englishbudsで見てきました。(生き証人は語る)

だからEnglishbudsの基本方針はシンプルです。
発話が出るまではレッスンで遊べ。発話が出ても遊びたがるなら遊べ。

ただ根っからのギラギラ民の我々。


ただで遊べると思うなよ、と裏で虎視眈々と教育のタイミングを狙っているのがEnglishbuds流です。

知育に燃える親心も、教育への不安も、全部ひっくるめておうち英語。


これが私がXの240語で語りたかった全容。

字余りw

応援お願いします♪

にほんブログ村 英語ブログ 親子英語へ
にほんブログ村