英文和訳を思う
英文和訳を思う
Englishbuds 管理人 Mommy Kayo です。
薄々お気づきかと思いますが
今回のタイトルのように「~を思う」で終わるタイトルは
完全な私の独り言であって、
あまりためになる話でもないのでテキトーに読んでください(^^;
何事にも流行り廃れというものがありますが、
今の英語教育界で【和訳】というのは忌み嫌われる存在のような気がしています。
私が現役の学生だった時は
英文和訳こそ英語の勉強という感じで
随分と幅を利かせていた学習方法の一つだったように思いますが
現在は時代遅れ感半端ない学習法になりつつあります。
オールイングリッシュで授業をすること
と学習指導要領に記載されてからというもの
この流れは加速したように感じています。
和訳中心の授業をしようものなら
ダメ教師のレッテルを貼られてしまうのではないかと思います。。。
まぁ、ただ現実はまだ和訳中心の授業をされている先生も多いと思うのですが、
きっと肩身が狭い思いをされているのではないかなぁ・・・と。
(ここは完全に私の憶測です)
「じゃあ、あなたはどうやって授業をやってるのよ?」と言われると、
実に困ってしまいますが、
適当にうやむやにするのも卑怯な感じがしますのでここはひとつ正直に。
基本、和訳を授業の中心に据えることはしていません。
予習の段階でも和訳はさせませんし、
授業中もざっくりと意味を取らせるものの、
ノートに和訳を書かせるということはしていません。
やはりそれでも日本語訳が気になるという生徒のために
和訳プリントを配布して対応しています。
私が和訳を授業中熱心にやらない理由は
やはり時代遅れになりたくないという思いもあり(←そんな浅い理由で!!!)
というは半分冗談で、
私が勤務しているのは実業高校で英語の単位数が少ないため
和訳に時間を掛け過ぎてしまうと他の活動ができなくなる
という理由が一番大きいです。
今、自分の授業スタイルではそうしているものの、
私自身【英文和訳】に対してどう思っているかというと、
個人的な意見ではありますが、
「英文和訳は古典的かもしれないが王道である」
と思っております。
私自身、高校生の時は英文和訳に明け暮れていました。
いかに美しい日本語に訳すかコンテストを
自分の中で毎日開催しているかのような感じで
日々、英文を自然で格調高い日本語に直すかに奮闘していたという(^^;
「世の英語の先生は私と同じで学生の時に脳内翻訳コンテストをしていたに違いない」
と長い間、勝手に信じていたのですが、
先日、同僚の英語の先生たちに私の仮説を披露したところ、
「そんなことはしていない」とあっさり否定されてしまいました・・・。
いいんです。
みんな違って みんないい (by 金子みすゞ)
確かに高校時代、英文和訳に没頭していた私は
スピーキング、リスニングが全く伸びないダメダメ学生でしたが、
私はその短所を上回るものを手に入れたと思っています。(勝手に)
それは何かと聞かれれば、(聞かれていないけど答えよう)
「日本語能力の向上(たぶん)」と「(なんちゃって)比較言語学」です。
この2つを副産物として私は得ることができた気がしていて、
完全な自己満足ですが、
自分の高校時代の英語勉強法を悔いてはいません。
リスニングとスピーキングは後年かなり苦労しましたが
なんとか補うことができたようにも感じていますし・・・。
でも、そうかといって
では「英文和訳ルネッサンス運動」を大々的に始めるほどに
英文和訳を万人に推すかと言われるとそうでもなく。
人には学習スタイルというものがあり、
所詮、私は和訳が好きだった、そのスタイルが合っていた、
というに過ぎないのではないかという思いがあるからです。
今の英語教育に問題点があるとすれば、
個々の学習スタイルを尊重する流れになっていないことかなぁ。
和訳は古めかしいと忌み嫌われていますが
私みたいに和訳が合う子が現代にもいるんだと思います。
授業から和訳を完全排除したり、
和訳する奴はダメ、英語は英語のまま理解しないと!
なんて強制してしまうことはいかがなものか?
と私は思います。
和訳ばかりでは英語力がUPしないのもまた事実ではありますが
和訳から学べることも多いと私は思っていますので
ひっそりと英文和訳の火を守る活動はしてみたいかな?!とも。
私は常々、
【英語】を教えることはできないなぁ・・・
と感じています。
【英語】を教えている、と言いますが、
実際のところ「教えている」のは、
英語の勉強の仕方だったり、
語彙、文法など英語全体からみれば極々一部のことを
授業という短い時間でチョロッと触れているに過ぎない
と思ったりするのです。
いかに自主的に英語を学んでもらえるように持っていくか
が最も大切であり、
そのためにも各子どもの学習スタイルを意識し
一つの指導法に固執することなく様々なアプローチ方法を取り入れていくべきなのでしょう。
でもそうは言っても時間に限りはあり・・・。
そのもどかしさ故に
日々、新しい教授法が出ては消えを繰り返しているのでしょうか。
私も模索の日々でございます・・・。
オンラインレッスンの会員登録はこちらから♪
応援お願いします♪
コメントを投稿するにはログインしてください。